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図書室のネヴァジスタ 白峰春人ルート感想 [図書室のネヴァジスタ]




周回を重ねるごとにようやく、ある程度冷静にプレイできるようになってきたネヴァジスタ。

うーん、うーん。
しかし、毎度、感想は難産ですなあ……。

難しいのです。
感情のもっていかれ具合を表現しつつも、演出、プロットの素敵さを文章にするのがですね……。

非常に面白い物語なのですが、ものすごくネガティヴイメージの強い作品なので、うまくそれが言葉にならないです(笑)
ものっすごく、人間的な部分でこの話の流れに不満を感じつつも、展開が気になって気になって、面白くてやめられないといいますか。
ラストシーン、数々のエンドで憤りを感じながらも、いくつもの闇、破滅を覗きこむ楽しさにハマるといいますか。

……うん。

まあいっか!www


それでは、白峰春人ルート、ネタバレ感想です。








<感情のままの感想>


やはり冒頭に「僕の終わりの物語」という語り出しがあるのは……ラストに服毒自殺として間接的に殺される展開が待っているからなんですね。
これが少なくともあと2人は続くのかと思うとツラ……い(涙)

ああああああ……ハルたん……!!

だから……。
なんで死んでしまうの……!
あそこでどうして、飲んでしまうの……!?

彼は普通よりも、シンパシーが強い優しい少年だっただけなんじゃないでしょうか。
自分よりも死んだ弟のために生きてきたような子なのに。

やっと自分のために歩き出したところだったのに……!(涙)


特に、彼については、個人的になにが「ひきょうもの」なのかすらわかりません。

あの時、弟を見捨てて自分だけが逃げ帰ってしまった、その部分を「お前は卑怯者だ」と正気で糾弾できる人がいるのでしょうか。

じゃあ智人の代わりに春人が死ねばよかったのか。
春人の苦しみは、智人へと変わるだけのような気がします。

自分の生命を守るために「とっさに」とった行動が悪なら、私は善でなくても構わないなと思う人間ですから、やはりこのルートは春人同様、甘い涙でぬれた優しい物語だったなという印象があります。

そんな春人くん。
自分にはめっぽう辛い。

だって!
春人のやさしさに、茅が、みんなが、嫌なことから目を逸らすのに、春人が甘やかさないのは自分だけ。
春人だけが自分を「卑怯者だ」「臆病者だ」と罵るんです。
智人の死後、彼の周りにいる誰もが、最終的には春人の生存を喜び、その死を彼のせいにして責めたわけじゃないと思うんです。(マスコミは別でしょうが)


それをわかった上での「ひきょうもののジュール」です。
……本当にNeversistaは悪意にまみれていますね……。


それにしても。
母親の「なんでひとりで帰ってきたの」はリアルですね……。

決して、母親が本気で春人より智人を大事に思っているわけじゃないのは春人も分かっているのだけれど、それでも彼のいう「とっさに出る言葉が本音」という言葉は重かったです。
かといって、その言葉を言った母親を責めるべきかといわれるとも、それもまた違うような。

うーむ。
本当に難しいですね。



<クールダウン後の感想>


……うーん。

たいていのこういうノベル系ゲームって、「引き金」をひとつの要素であっさりと引いてしまうものが多い(だから薄っぺらく感じられる)のですが、この作品は非常にその点でリアリティがあるなあと感じさせるルートでありました。

春人が子役タレントであり有名であったことがひとつ。
橘貴志を神波誠二が唆したことがひとつ。
夕暮れの遅い時間に子供が二人、森の中にいたということがひとつ。

3つの事象が重ならないと、この白峰智人の死は引き起こされなかったということなのだろうと思います。
やはり神波の比重は大きいような気はするのですが、この「子役タレントであった」という設定はうまいなと思いました。偶発的なようにしか一見感じない事件を、このひと設定が発生する確率をかなり上げているように思わせる。その、無駄のなさが素敵でした。



・生きることへの罪悪感


春人が、物語の最後の最後まで持ち続けているのが、これです。
弟を見殺しにして生き残った命、まさに「僕(の方)が生きていてごめんなさい」です。
この「罪悪感」の表現が痛々しくも美しかったですね。

楽しいと思うことが許されない。
愛されていると思うことが許されない。
幸せだと思うことが許されない。
したいことをしてはいけない。
好きなものを好きといってはいけない。

弟がもう、今は出来ない、許されないことをしてはいけないと自分を縛り、感情、心の声を押し殺したまま、ただ心無くふわりと笑う、その姿を想像するだけでも甘美です。

そんな彼が茅にだけ「俺はこれでいいんだ」と思えるところであったり、煉慈の言葉に傷つきながらも手放せない憧憬を感じたりする部分で、幽霊棟の彼らの連帯感といいますか、つながりをしっかりと表現しているところもよかったですね。彼らがいるから、彼自身が罪悪感に呑まれないギリギリのところで立っている、そういう感じがしました。

春人が「瀕死の賢太郎」を見たとき、こんな状態になるまで気づいてあげられなかったことを悔い、「いつも自分のことしか考えていない」と自分自身をなじるシーン、またその罪悪感によって生まれた「復讐をしなければいけない」という強迫観念が発露してくるシーンなどに、生きることへの罪悪感を抱え続けてきたことによる彼の「歪み」が表現されていてよかったです。

客観的に見れば、誰よりも情に流されやすく、人に感化されて行動しているし、自分が生き残った意味は弟を殺した犯人に復讐するためである、という考え方も本来の彼らしくはない。正直、思考がかなり飛躍していると思うんですよね。この辺りの彼のリアクションは。

そういう、単純に繊細な少年というだけでは終わらない、というところに白峰春人像の深さを感じました。



・「英雄」と「現実」


「ロビン・フッド」に憧れていた春人。しかし自分はそんな勇敢さを持ちえない卑怯者だった。
これになぞらえるようにして描かれているのは、同じように弟を失ったと自覚して、弟の死の真意を確かめようと乗り込んだ清史郎の「英雄」、賢太郎の「現実」です。監禁された彼は、惨めな姿になって、最後にはジャーナリストであるが故の恐ろしい妄想に取りつかれ、自分の命を守ることしか考えられなくなっていきます。

二人は「兄」という属性を持つ登場人物ですが、性質や考え方はだいぶ違いますよね。
なのに結局は、理性的で自立した大人であっても、誰からも愛される心根の優しい子供であっても、追いつめられたとき、ヒトとして本能的に生命の危機を感じた時の「現実」は変わらない。
でも、人であるが故に、その本能的な自衛行動、思考に悩み苦しむ……という。
なんて人は切ない生き物なのだろう、と思わず項垂れてしまいました。(それにしても、ここの賢太郎が壊れていく様子は読んでいてぞっとしました……)

清史郎の想い出話の中で、勇敢で聡明だった兄の姿はひとかけらも残っていない状態にまで衰弱した彼を間一髪のところで救い出したのはロビンフッドになれなかった少年、そして彼の自嘲めいた罪の告白なのですから、このあたりも非常にシニカルでした。

「弟が死ぬまで、兄として向き合わなかったこと」よりも「弟を見殺しにして兄が生きていること」という方が罪は重いでしょう、と言わんばかりに穏やかに、甘く、優しく、賢太郎の本質を取り戻そうと声をかける春人。
きっと賢太郎に一番「そうじゃない」と否定して欲しかったはずなのに、春人がそうして仲間の犯した罪を自ら血の涙を流すことによって漱ごうとする、その屈折しているけれども慈しみ深い行為がとても印象的でした。


・「互いに赦し合いなさい」

基本的に彼は、どんなに悲しい時も、怒っている時も、相手の立場に立って考えてしまう人です。
時に清史郎に、鉄平に、瞠に、賢太郎に、橘貴志に、槙原先生に自分の心を重ねてしまう。
だから、加害者という立場の人間であっても、どんなに酷いことをされたとしても、弟を殺した張本人だろうと、彼は相手の事情を慮ってしまう。

それはやさしさであり、弱さであると思います。

生誕祭の「マリア様」の格好のまま、橘貴志にナイフを向けるシーンは鳥肌が立ちました。
彼に殺せるはずがないのだ、ということがあのスチルに表現されているように思いましたね。

彼にできることは、赦すこと。
そして、そうして誰かを赦してしまう自分をも、赦すことです。

「互いに赦し合いなさい」と一番説くべきはずの神波が、誰よりも、罪に誘惑し、悪意を掘りおこしているのですから、始末が悪いですね……。
姿を消した神波を悪く言う瞠に対して、「君にとっては大切な人だから無理をして悪く言わなくていい」と告げる春人は、やはり「ロビンフット」というよりかは「マリア様」ですね。

最後には、ロビンフットの、太陽のような輝く強さだけが「英雄」たる性質ではないんだ。
そういった弱さを持つ月のような春人だからこそ、照らすことの出来る人がいて、それもまた「英雄」と呼べる存在ではないか、というところに物語が納まっているところも個人的に好きでした。


それにしてもこのルート、マッキーが空気ですね……。
一番おいしいとこは持っていくような気はしないでもないですけどww







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