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図書室のネヴァジスタ 雑感&主要ルート感想 [図書室のネヴァジスタ]



図書室のネヴァジスタ

図書室のネヴァジスタ

  • 出版社/メーカー: タース・エンターテインメント
  • メディア: DVD-ROM




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先日までプレイしていたあさき、ゆめみしから一転して。
雰囲気のがらっと変わったゲームをプレイ中です。

図書室のネヴァジスタ。

この作品を、ひも解いてよかったような、よくなかったような。
正直、今そんな気持ちです(笑)

まさに「もう終わりだ……」。

文句なしに面白い。

文句なしに引き込まれる。

ただ。
引き込まれるというより、引きずり込まれる、という方が正しいような気がします。

文字数としては、かなり少ないのに。(シナリオヴォリュームはあります)
台詞であったり、言葉であったり表現であったり。
そのひとつひとつが、的確に、プレイヤーの致命的な部分を突き刺すような、そんな印象を受けます。

映画のような雰囲気を感じさせるのは、フォントのチョイスと、ライターさんが限られた文字数の中で、どの言葉が読み手の心に最も作用するか、考慮されているからだと思います。
英文を翻訳する時のようなイメージで。
詞を書く時のようなイメージかな。

あと音楽が素晴らしいですね。
音楽鑑賞システムがないのがもったいないくらいです。
どれも美しい。そして切ないです。
スチルなどのクオリティも高く作品にとてもよく合っていると思いますし……正直、いうことないです。

ではなぜ、ひも解いたことをちょっぴり「後悔」したような表現をしたのかというと。
それは、無意識に忘れていた、自分の心の奥底にある錆びついた引き出しを開けてしまうからです。


別にトラウマ、というほどのこともない。
別に人生最大の後悔を、というほどのことでもないのです。

そういうターニングポイント的なものではない。

日常のどこにでも落ちているような「言葉」。
誰でも持っているような「夢」。
さまざまなことについて語りあった「あの日」。
教壇に立っていた先生の「姿」。
地域欄にしか載らないような「出来事」。
学校でしか広まらないような「噂」。
友達や親が自分に向ける「表情」。


何気なく生きてきた人生の中で、見て見ぬふりをしてきたこと。
知っていたのに、気づいていたのに、手を離したこと、忘れたこと。
またその逆もありますね。
見て見ぬふりをされたこと。
知っていたはずなのに裏切られたこと。
忘れられたこと。

そういうことを。
力ずくで暴き出されて。
泣きたくなります。

「私」という「子供」は、もう私の中にはいない。
でも、子供だった記憶は、あります。
もう「大人」なのに、「子供」の頃の瑣末だけど確かに残っている記憶を暴かれるのはこんなにしんどいことだとは思わなかったです。


で。

……初回ルートでコレです。
今後どうなるのか、自分でも怖いです。

しかし、やめられない。
生傷に爪を立てるようにして、スクロールする手は止まらない。
フルコンプまで頑張りたいと思います!


……続きから、初回本編ルートのネタバレ感想となります。
が。

今回この作品については、ゲーム内容については詳しく書く予定はありません。
ただ、単純にあかりが思ったことをつらつらと書き連ねているだけのつまらない文章だと思います。作品のネタバレを読んでからプレイするかどうかを参考になさる方には向かない記事かもしれません。ご了承くださいませ。

というのは、そうして要約したり、端折ったりしてしまうことによって、彼らの「顔」が見えなくなってしまう作品だからです。概略だけを書いてしまうと、彼らの苦しみがここに残らないと思ったからですね。
ぜひ気になった方は、体験版からプレイされることをオススメします。


それではどうぞ!

実は……まだ何も明かされてないような気がするこの本編。
わからないことが多すぎます。

例えば、瞠が何故あんなことをしたのか。
エンドロールの後のシーンの意味は何か。
古川鉄平と御影清史郎についてもまだ明かされていない部分はありそうだし、何よりもあの神波さんは何者なのか。

それでも。
今このルートだけで思ったことを書き残しておきたくて、とりあえず。
以下、思うままにつづってみたいと思います。

絶対もう読み返したくないようなことになってしまったけど(笑)
後悔はしていないもん!

ものすごおく自己満足ですけど、よろしければどうぞ。(以下常体です)



==========================================




「自殺のマニュアル本を枕元に置いて寝ると安心するんだ」

そういって笑う彼の言葉を思い出す。
いつでもこうすれば、死ねる。
そう思えることが、安堵につながるそうだ。

あの時の私は、ふーん、そんなものか、としか思わなかった。
私はなんと返したかは覚えていない。しかし、この言葉だけが心に残っている。あの時は単純に「何を抱えて彼は教壇に立っているのだろう」と思った。


個人的に、御影清史郎の考えは理解できない。
理解したくはない。
せっかく見つけた「居場所」をくれた彼らを道連れになんて、してほしくない。
誕生日プレゼントのお返しが「妖精の粉」だなんてふざけてる。
死ぬなら一人で死ねばいい。
そんなものをあの子に、そしてあの子たちに背負わせるな。

そう、思う。

でも。
最愛の兄が言った「大人になんてなりたくない」という言葉をずっと引きずってきたことは理解はできる。

こうして、人は何かに縛られることを「大人」になった今はよくわかるからだ。
この作品に出てくる登場人物は、初回でわかる範囲だけでもみな、大人の言葉に、期待に、都合に、縛り付けられてしまった人たちばかりだ。

なぜ。どうして。

浮かぶ純粋な疑問に、普通はどこかで折り合いをつけて、大人になっていく。
そう、例えば賢太郎のように。

しかし、それが出来なかった時。
子供たちはネヴァジスタの誘惑に囚われる。

この作品に触れて恐ろしかったのは、子供たちが「死」に近いことではない。
彼らは、ひとりではネヴァジスタへは飛べない。
こうして、清史郎がお膳立てをし、5人で舞台を整え、役者を揃え。
大人たちを巻き込んで、変な言い方だが「見守っていて」もらえないと死ねない。
そういうところだった。

「死ぬ」ためにここまで回りくどいことをする、その意味が「大人に気づいて欲しい、止めてほしい」というメッセージであったというのは、正直ものすごくきつかった。

小さい子は簡単にどんなことでも「見て、見て!」と言える。
それが悪いことをした時であっても、だ。
大きくなるにつれて次第に善悪の区別がつき、いろんなことが分かって、そういうことを言わなくなる。
いや、言えなくなるのだ。
大人に見せなくなる表情はさらに年齢を重ねるごとに増えていく。

それは成長だ。
子供の成長とはうれしいものだ。素晴らしいものだ。
しかし、実はその「成長した子供」に胡坐をかいているのは大人なのだということを突き付けられた気がする。

ひとつ、水滴を落とすと広がる波紋のように、あっという間に彼らは瓦解していく。
それを、「脆い」と表現していいのかはわからない。
それを、「危うい」と表現していいのはわからない。

ただ、彼らはお互いに促し合いながら、下りていく。
肩を押し、腕をとり。
死への階段を、一歩ずつ。
時折、振り返りながら。時折、苛立って壁を殴りつけながら。
時折、立ち止まって膝を抱えて震えながら。

そんな彼らを、作品を通してずっと見ていると、理由も分からずに悲しくなった。やり場のない怒りもあるような気がする。そうして、私は悔しいのか、苦しいのかわからないけどバカみたいに泣いてしまった。




「悔しい」という言葉が出てくるということは、私は自分を賢太郎に重ねているのだと思う。

些細なことだと思っていたことが、すべての原因であることに最後に気付く賢太郎は、大人の代表だと思う。
彼の中ではすべては「仕方がなかった」ことだ。
両親が離婚したことも、弟と離ればなれになったことも。
手紙の返事が書けなかったことも、次第に弟という存在を忘れていったことも。
彼はきっと、がむしゃらだった。

それでも。
「仕方なかった」という言葉がどれだけ大人にとって便利で、子供を傷つけるのかという、瞠の言葉はとても痛かった。
それは簡単に口をついて出る言葉だからだ。


そんな大人にとっては「仕方ない」ことの延長にあると思われるこの物語に、救いがなかったかと言われればそうではなかった。

終章の槙原渉。
あれは、大人の理想の姿だと思う。

愛情をもってほめること。
愛情をもって叱ること。
あなたがこの世に生きていてくれてくれるだけでうれしいということを表現すること。

簡単なことのようで、ものすごく難しい。
子供にとって大人は聖人君子である必要はない。
なのに、大人というのは常に正論を振りかざしてしまいがちだ。
何かのために何かを犠牲にすることを平気でやってのける。
世間体を気にして。誰かの目を、耳を気にして。


ラストシーンでの、清史郎の第一声だ。
「お兄ちゃんが鉄平にひどいことをしてごめんなさい」
子供っぽい顔で泣きじゃくる清史郎のスチルが添えられたその言葉に。
その言葉に驚きを隠せない大人たちの表情に。
私は声をあげて泣いた。

きっと、必要なことは、たったひとつだろうと思う。
子供にとっての、今の「正論」とは何だろう、と立ち止まって考えることだ。
些細だ、くだらない、つまらない、無理だ、仕様のないことだなんて一蹴しない、そんな大人にならなくてはいけない。
そして、子供たちをそんな大人に育てなければならない。

私は、ただ、そのひと想いだけで泣けたのだということに初回ルートをプレイし終えた後に気づいた。


自殺のマニュアル本を枕元に置いて寝ると生徒に打ち明けた彼を思い出す。
今ならわかる。
彼は渉に近い存在だったのだろうということが。

「死ぬ事なんて考えるな」と大人はきっとみんな言う。
それは悪いことではないということを肯定できる大人は、少ない。
それで心の安息を得られるのであれば、いくらでもシミュレートすればいい。
死ぬことを明確に想像すれば、きっともうちょっと生きてみようかなと思えるはずだと言いたかったのだろうと思う。それは生きていく方法の、ひとつの示し方のように思うのだ。

誰もが子供だった。
そして、誰もが大人になっていく。
大学を出ると、社会人、夫、妻、父、母……と。
大人になればなるほど、大きな属性に切り分けられていく。

その中で忘れていくのだ。
子供だった自分を。
いつしか与えられた属性で、武装して、自分の得物を振りかざすようになる。

それが大人だと、確かに思う。
そうすることでしか乗り越えられないものがあるから。
しかし、考えることまでをやめたくはないと思う。
忘れてしまいたくはないと思う。

子供であったすべての人に、ネヴァジスタに憧れる、もしくはそれを美しいと思うような時代があり、過去があることを。

きっとその「記憶」が。
何かに絶望して、世界に失望して。
ネヴァジスタに飛ぼうとする子供を叩き落とす、唯一の武器であって欲しいと願う。


















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